Castle in Kyusyu
佐賀
福岡 佐賀 長崎 大分 熊本 宮崎 鹿児島
佐賀城
本丸御殿は慶長13年(1608年)から慶長16年までの佐賀城総普請により造られましたが、享保11年(1726年)の大火で焼失しました。その後、約110年間は再建されることなく、藩政は二の丸を中心として行われていました。
ところが、この二の丸も天保6年(1835年)に火災に見舞われ、藩政の中核を失ってしまいました。
10代藩主鍋島直正は、それまで分散されていた役所を集め、行政機能を併せもつ本丸御殿の再建に着手しました。
この鯱の門は、その時、本丸の門として建設されたもので、天保9年(1838年)の6月に完成したものです。
明治7年(1874年)の佐賀の役で、佐賀城は戦火に見舞われました。
鯱の門にはその時の弾痕が残り、当時の戦闘の激しさがしのばれます。
門の構造は、二重二階の櫓門に、一重二階の続櫓を組み合わせたものです。
屋根は本瓦葺、入母屋造りで、大棟の南北には、佐賀藩の御用鋳物師 谷口清左衛門の手による鯱がおかれ、鍋島氏36万石にふさわしい規模・格式を有しています。
佐賀市教育委員会城内説明板より
アドレス 佐賀市城内 PA:数ヶ所(濠周辺):合計約100台/城門跡のすぐ前にもPAスペースあり。
別名 栄城・亀甲城・葉隠城・沈み城
築城年・城主 天正年間(1573年):当時の城名は「村中城」:龍造寺氏
慶長16年(1611年):(慶長7年より約10年の歳月を費やして完成):鍋島氏
城の種類 平城
かつての構造 天守閣 享保11年(1726年)火災により焼失
本丸 享保11年(1726年)大火災により焼失
天保8年(1837年)再建
二の丸 享保11年(1726年)大火災により焼失
翌年再建に着手・享保13年(1728年)再建
天保6年(1835年)再び大火災により全焼
三の丸 享保11年(1726年)大火災により焼失
鯱の門 本丸出入の門(天保9年完成)
櫓(鯱の門の続き櫓)
遺構 鯱の門(写真左端)・続櫓 国重要文化財
天保9年(1838年6月完成)
本丸跡 明治2年(1869年)佐賀藩庁(佐賀県庁)設置
明治7年(1874年)佐賀裁判所設置
明治16年(1883年)佐賀中学校が本丸跡に移転
明治19年(1886年)新築して佐賀師範学校が移転
平成16年(2004年)歴史資料館の開館予定
約80m
石積・土塁 ☆現在復元工事中
鯱の門の構造 二重二階 門部桁行:正面約9.1m(5間)・
背面部桁行:約5.5m(3間)・梁間約1.8m(1間)
二階部桁行:27.3m(15間)・梁間約5.5m(3間)
続櫓の構造 一重二階 1階・2階の桁行:約5.5m(3間)・梁間約5.5m(3間)
屋根:本瓦葺・入母屋造り・棟の両端に青銅製の鯱がおかれている。
門の柱・桁・扉等:(銅製打出しの金具で装飾されている。)
近辺の見所 県立美術館・博物館・大隈重信旧宅・徴古館・松原神社など
佐賀市の中心地、佐賀城公園「歴史の森」(全国都市公園百選)にあり、佐賀市を代表するお城跡として親しまれています。
又、城の東西に残る濠は、周囲に佐賀県庁や県立図書館、新聞社など重要な建築物が整然とそびえていて遊歩道も整備されています。
☆現在、佐賀城公園では本丸御殿の復元や土塁・石積・櫓台・濠の復元工事が行われています。(2003.08現在)
お勧めの季節:(桜並木・佐賀城下雛祭りがあります。鍋島藩や古賀家のお雛様が展示されます。)
up