Castle in Kyusyu
長崎
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島原城
元和2年(1616年)大和の五条2万石から移された松倉重政は、ここ肥前島原で4万石を領することとなりました。
重政は築城の名手といわれ、小倉城、唐津城、平戸城、丸亀城などは彼の縄張り(設計)によるものと伝えられています。
瀑布の厳命によるキリシタン弾圧が最高使命であった重政が、島原半島の伝統的領主であり、著名なキリシタン大名であった有馬氏の拠点日之江城および原城をはじめ30余りの出城や砦をすべてとり壊し、現在地・森岳にその石材を運び、元和4年から7年3か月の歳月と延べ100万人にのぼる領民の苦役を費やして築いたのが島原城であります。
城内説明板より
アドレス 島原市城内1丁目/城内散策時間目安:約30分〜1時間
別名 森岳城
築城年 寛永2年
築城者 松倉重政(4万石)
歴代城主 松倉氏・高力氏(4万石)
・松平氏(7万石)
・戸田氏(7万石)
・ふたたび松平氏
寛永14年(1637年)、島原の乱(幕府の厳しいキリシタン弾圧に抗して信徒達が天草四郎を盟主に峰起し島原城を攻撃した乱として名高い)の責によって松平氏は断絶。
城の種類 連郭式平城
規模 十万石の大名の居城に匹敵する豪壮な城郭 彼の築城技術の集大成とも言うべき島原城は、4万石の分限をはるかに越える規模をもっていた。
かつての建築物 天守閣(層塔風総塗込式)・7つの城門・49の櫓・矢狭間塀(延べ2200m)
※明治維新後の明治7年(1874年)大蔵省令によって拝上となり、いっさいの建物は破壊されてしまいました。
遺構 石垣・堀
現在の建築物 天守閣 (昭和39年復元):切支丹史料館他
西の櫓 (昭和35年復元):全国名城画展・こけし展
巽の館 (昭和47年復元):北村西望記念館)
丑寅の櫓 (昭和55年復元):民具・考古史料館
矢狭間塀 (復元)
その他の建築物 御馬見所・観光復興記念館・鐘つき堂・宮崎康平の碑
その他の見所 古野梅苑・島原城梅苑・菖蒲園・蓮池
天守閣の構造 鉄筋コンクリート造り。 本瓦葺外観5層地下1階地上5階(昭和39年3月再建)
☆現在の天守閣は装飾的な破風のない層塔風総塗込め式で昔の姿を再現している。
近辺の見所 平成新山 (旧名:普賢岳)
島原武家屋敷群
浜の川湧水群
白土湖 1792年、眉山の崩壊によって地下水が湧き出し、一夜にして出来た湖。
鯉の泳ぐ町 約1500匹の鯉が放流されている。
ねはん像 釈迦の尊い最後の姿(全長8.6m/高さ2.12m)
梅苑の梅ごしに見る、お城が美しい。
お勧めの季節:2月頃(梅の名所です。)・冬期(緑地公園のイルミネーションが綺麗です・お城もライトアップしてます)
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