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観音滝の背後の山が長野城跡である。
長野城は祁答院氏の守る城であったが、島津軍の攻撃の為、永禄12年5月25日、遂に落城した。
寛永17年(1640年)祁答院地方の領主 島津久通は、家臣の内山与右衛門に金山探査を命じ、夢想谷の地に金鉱露頭を発見する。
幕府に報告 稼行免許方を申請許可され長野金山(明治4年には島津家金山となる)と称す。 近くに長野金山跡があります。 |
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アドレス |
薩摩郡さつま町(薩摩町)永野 |
築城年 |
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築城者 |
祁答院氏 |
歴代城主 |
祁答院氏 |
城の種類 |
山城 |
遺構 |
曲輪 |
現在の建築物等 |
観音滝公園 |
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近辺の見所 |
ガラス工芸館・キャンプ場・薩摩町民俗資料館・観音滝温泉・滝の宿など。 |
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長野金山跡(坑夫専用風呂場跡など) |
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長野金山 |
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長野金山が盛んな頃は、坑道は遠く横川町山ヶ野の地底までも通じ6番坑道と呼ばれ、途中には坑内事務所・コンプレッサー機械室・500尺竪坑・斜坑巻き上げ場・上坑道からの鉱石落とし口などがあって、主に運搬や坑夫の出入り口であった。
この坑内には金鉱脈を追って掘られた坑道が蜘蛛の巣のように繋がっていた。
・・・ここを散策した時、一天雲って土砂降りの雨になった。車に戻って雨宿りの場所を求めて移動を始めるとすぐに晴天に戻った。 |
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