Castle in Kyusyu
鹿児島
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伊作城
この付近一帯は伊作城と呼ばれた南北朝・戦国時代(約650〜400年前)の山城の跡で、県内でも最大級の規模になります。
史跡亀丸城跡(県指定文化財)
 伊作城の本丸跡で約700年前、伊作島津氏初代久長が築城したと伝えられる。
東に蔵之城・東之城等、西に西之城・花見城等、合計9つのとりでを有し、いずれも空濠によってへだてられている。
 ここは10代忠良(日新公)に至るおよそ250年間の伊作島津氏の居城であった。この間薩摩藩にとって重要な人物とされる、忠良、忠将、義久、義弘、歳久、家久などの生誕の地であり、また自然の地形をたくみに利用して築城された史跡として県の指定を受けている。 
昭和30年7月13日鹿児島県文化財指定
吹上町教育委員会
アドレス 日置市(旧:日置郡)吹上町伊作 城巡り時間目安:約15分〜1時間
別名 亀丸城
築城年 1340年頃
築城者 島津久長
歴代城主 島津家
城の種類 山城
遺構 本丸跡
本丸井戸跡など
御仮屋城跡
この場所は人の手で平らにした所で、こうした場所を曲輪(「郭」とも書く)と言います。
建物等を建て、防衛の拠点にしました。
この曲輪は江戸時代には「御仮屋城」と呼ばれていました。
曲輪は山城の一部ですが、鹿児島では曲輪を「○○城」と呼ぶことがあります。
平成14年12月 吹上町教育委員会
空堀
中世(約800〜400年前)に造られた山城では、城を守る為に大きな溝を掘ることがあります。
この空堀は繋がっていた山の間に溝を掘って2つに分けています。
伊作城には多くの空堀が掘られています。
平成14年12月 吹上町教育委員会
この空堀の底は人が通れるように20mの幅があり、長さ200mに及ぶ城内でも最大規模のものです。
防御だけでなく、主な通路としても使われていました。
平成14年12月 吹上町教育委員会
島津忠良(日新公)の誕生石
 伊作島津氏10代当主島津忠良(1492年〜1568年)は、戦国時代に九州の大半を制覇した戦国島津氏の基礎を築いた人物で「島津氏中興の祖」とされています。
忠良は、この亀丸城で生まれたと伝えられています。
 忠良の生きた時代は、島津本家が衰え、各地の領主は争い、大きく乱れていました。
 本家14代当主島津勝久は1526年に忠良と手を結び、忠良の息子貴久(1514年〜1571年)を養子に迎え、本家当主の地位を譲りました。
 忠良と敵対する島津実久は、1527年に貴久に本家当主の地位返還を強硬に求めました。
忠良と貴久はやむなく田布施に引き上げました。勝久は実久と手を結び、本家当主に復帰しました。伊作城は実久側の武将が占拠していたので、忠良はこれを改めて伊作城を奪還しました。
 当初は実久に圧倒されていた忠良と貴久も反撃に転じ、次々と勝利を収め次第に領地を増やし、南薩地方から実久の勢力を一掃しました。
こうして貴久は名実ともに本家当主になることができました。
 忠良は、政治の実権を貴久に譲った後も思想的、精神的に島津家や家臣に影響を与え続けました。
その集大成が「いろは歌」です。
47句の「いろは歌」は、君主や家臣の心得や、道徳、学問への心構えなどを網羅し、江戸時代の鹿児島藩の教育に生き続けました。
平成14年12月 吹上町教育委員会
島津義久・義弘・歳久・家久誕生石
 義久(1533年〜1611年)・義弘(1535年〜1619年)・歳久(1537年〜1592年)・家久(1547年〜1587年)の4兄弟(父は島津本家15代当主貴久、祖父は伊作島津氏10代当主忠良)は、この亀丸城で生まれたと伝えられています。
島津氏は、4兄弟が中心となって戦国時代の九州のほとんどを制覇しました。
 貴久は薩摩では最大の勢力でしたが、薩摩の北部や大隅には貴久に従わない豪族が多くいました。
島津氏の悲願であった三州(薩摩・大隅・日向)統一を果たす為、貴久と4兄弟は各地で勝利しました。
貴久の死後(1571年)も戦いは続けられ、1576年には大隅で抵抗を続けていた肝属氏が降伏し、島津氏は名実ともに三州の支配者となりました。
 戦国時代末の九州は島津氏、大友氏、龍造寺氏が大きな勢力として争っていました。
1578年には大友氏と島津氏が高城・耳川(宮崎県木城町)の合戦で戦い、義弘や家久が活躍し、勝利しました。
1582年には家久が龍造寺氏と島原(長崎県島原市)で戦い敵の当主流造寺隆信を討ち取り勝利しました。
九州の大半を支配した島津氏でしたが豊臣秀吉との戦いに敗れ、薩摩と大隅、日向の一部だけの領地にされました。
 その後、義弘は、秀吉の朝鮮出兵に参加し、大きな戦果をあげました。
1600年の関ヶ原の戦いでは、加わった西軍が敗れた後、敵の包囲を多くの犠牲を出しながら突破しました。
そのすさまじい戦い振りは長く讃えられています。
平成14年12月 吹上町教育委員会
忠良御女子誕生石
伊作島津氏10代忠良(日新公)の娘達の誕生石です。
忠良には4人の娘がおり、それぞれ、有力な家臣や各地の豪族などに嫁ぎました。
3女は種子島氏に嫁ぎましたが離婚、その後、肝属兼盛に嫁ぎました。
兼盛と死別後は西之城(伊作城の一部)に居住し、「お西様」と呼ばれたと伝えられています。
伊作城跡の西隣の多宝寺跡に墓があります。
平成14年12月 吹上町教育委員会
土塁
この土手のようなものは土を盛って作った「土塁」という防御用の施設です。
周囲の見張りや、戦いの際に身を隠す為のものです。
平成14年12月 吹上町教育委員会
蔵之城跡
伊作城の一部を占める曲輪ですが、鹿児島ではこうした曲輪も「○○城」と呼ぶことがあります。
土居 敵の侵入を防ぐ為に土を盛り上げて造った土手のようなものです。
近辺の見所 吹上浜公園・山神の里公園・吹上浜・さつま湖・吹上温泉・ゆーぷる吹上など
周辺は「城山憩いの森」と称されている山深い所です。
伊作城の中に「亀丸城(伊作城本丸跡)」・「蔵之城」があります。
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