Castle in Kyusyu
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御所ヶ谷城
御所ヶ谷神籠石(国指定史跡)
周囲約3kmの大規模な遺跡で、7世紀に大陸からの侵攻に備えて、国家的事業として築かれた古代の山城跡である。
切石の列石を基礎にした高さ3〜5mの土の城壁が山を巡り、要所に城門が設けられている。
城内には建物の礎石や貯水池と推定される遺構も残っている。
特に排水溝を備えた中門の石塁は壮観で、1300年前のすぐれた土木技術を今に伝える貴重な遺構である。
昭和28年と平成10年、国の史跡指定を受けた。
史跡の概要(御所ヶ谷神籠石)
指定年月日:
昭和28年(1953年)
平成10年(1998年) 
11月14日
9月11日
指定面積: 442.475u
神籠石とは北部九州から瀬戸内海沿岸にかけて分布する古代の山城の一種で、城壁の基礎に切石の列石を並べています。
百済救援の為に、朝鮮半島に派兵した我が国は663年、白村江で唐と新羅の連合軍に敗退します。
敗戦後、唐、新羅郡の侵略に備え防人と、とぶひを配置するとともに、大野城、基い城、金田城など山城を築き国防体制を強化しました。
神籠石タイプの山城も、この戦いの前後に国土防衛の為に築かれたと考えられます。

御所ヶ谷神籠石は、外周約3kmに及ぶ大規模な遺跡です。
高さ3〜5mの土塁(城壁)を山中に2km以上に渡って巡らせ、土塁が谷を渡る部分は石造りの水門が築かれています。
7ヵ所城門があり、このうち中門は花崗岩の切石を積み上げ、排水口を設けた巨大な石塁が残っています。
城内には建物の礎石や貯水池の跡と思われる遺構、未完成の土塁跡などもあります。

西日本の古代山城の中で御所ヶ谷神籠石は大規模な石塁や土塁に象徴されるように、城としての完成度が高く当時、中央政権が京都平野を九州北東部の防衛の要として重視したことを示しています。
御所ヶ谷神籠石の発掘調査
御所ヶ谷神籠石は平成5年から発掘調査を行い、これまでに土塁や城内の列石線、礎石建物跡、城門跡などを調査しました。
土塁の調査では板で枠を造り、土や砂利を入れて突き固めながら積み上げた版築という工事の様子が明らかになりました。
また土塁の中に列石が埋まっている事や、城内に未完成の土塁がある事も分かりました。
第二東門から須恵器の壺が出土し、神籠石が築かれた時代を知る手がかりとなりました。

まだ謎の多い神籠石ですが、今後の調査の進展で次第に明らかになっていくことでしょう。
行橋市・行橋市教育委員会
アドレス 行橋市
築城年 663年前後
城の種類 山城
規模 442.475u(外周約3km) 中門・東門・第二東門・南門・第二南門・貯水池など
遺構 中門跡 城壁が良く残っている
東門跡・第二東門跡 石垣が残っている
西門跡 土塁
貯水池跡 土塁
礎石建物跡・版築土塁・未完成の土塁・馬立場石塁・列石など
近辺の見所 御所ヶ谷住吉池公園・ウイズゆくはし・浄善寺・須佐神社・松山子安観音・行橋赤レンガ館・千仏鍾乳洞・馬ヶ岳城跡などがあります。
非常に多くの遺構が残っていました。
。現在も修復・調査が続いているようですので、機会があれば再度行ってみたいと思います。
(山頂付近は分岐路が幾つかありますが、私が行った時は塞がってしまっている道・蜘蛛の巣だらけの所などもありました。道に迷うと危険ですので、ご注意下さい。)
お勧めの季節::今川河畔・八景山の桜など
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